IKUEI NEWS vol.84
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大学2年生の時、ゼミの先生と演奏会の様子。尺八は卒業まで続けていた をつくるためにに赴任したのです。それまで関東圏にしか住んだことはありませんでしたが、妻の理解も得て一家で移住。沖縄に拠点を移したことは自分にとって非常に大きな変化でした。 沖縄に来て衝撃的だったのは、米軍のヘリなどが平然と頭上を飛んでいることです。自分の日常だった静かな生活は、沖縄をはじめとする地域が基地とともに生活しているから成り立っているということを肌で感じ、政治を専門とする者として沖縄に関わってこなかったことを反省しました。 同時に、社会の「線」を意識することの大切さを改めて学びました。社会の仕組みの中で、意識しなくとも他の誰かを排除している。今の自分の立場も誰かを押し退けた上に成り立っていることに気付いたのです。だから学生たちには、政治学を通して自分たちの生活における「線」への意識を高めてほしいと教えています。線の外側にいる誰かのおかげで今の自分があることを想像できれば、豊かで優しい心を持つことができます。政治学を専攻していない人にも、是非意識してほしいところです。電通育英会でのつながりは貴重で一生もの 電通育英会の「奨学生」という特別なつながりで出会う仲間たちは、地域も大学も多様で、文理関係なくさまざまな専門分野を持った人たちです。このような集まりはとても貴重ですし、そうしたつながりはなかなか築けないものです。自分とかけ離れた分野についても知るチャンスだと思います。 また、同期のつながりだけではなく、タテのつながりも大切です。専門分野が同じ・違う人、研究をする人、企業で働く人。タテもつながることができれば卒業後の可能性をさらに広げることができます。電通育英会を通して出会う人たちは、きっとかけがえのない仲間になります。私もここで大事な仲間と出会い、幅広いつながりの大切さを学びました。これからは、是非ヨコだけでなくタテのつながりも積極的につくってほしいと思います。電通育英会の元奨学生を訪ね、卒業後にどのような仕事をしているのかを紹介するこのコーナー。今回は、琉球大学(沖縄県)で人文社会学部の准教授を務める、久保慶明さんを取材しました。第二次世界大戦後の1950年、琉球列島米国民政府令第30号により、琉球列島初の高等教育機関として開学。1972年、沖縄の本土復帰により、日本最南端かつ最西端の国立大学となった。開学当初は那覇市の首里城跡地に建設されたが、1977~1984年に現在の場所(中頭郡西原町)に移転した。琉球大学今回お伺いした職場IKUEI NEWS 2018.10 vol.84 24

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