IKUEI NEWS vol.78
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土井 隆義(どい たかよし)1960年山口県生まれ。大阪大学大学院博士後期課程中退。現在、筑波大学人文社会系教授。社会学専攻。今日の若者たちが抱えている生きづらさの内実と、その社会的な背景について、青少年犯罪などの病理現象を糸口に、人間関係論の観点から考察を進めている。主な著書に『つながりを煽られる子どもたち』(岩波ブックレット)、『少年犯罪<減少>のパラドクス』(岩波書店)、『人間失格?』(日本図書センター)などがある。不自由ではあっても居場所が定まらない不安はありませんでした。1つだけぽつんと孤立してしまうという事態も滅多に起こり得ませんでした。しかし、個々のビー玉が自由に動き回れるようになると、それぞれの居場所は定まりにくくなり、うろうろするばかりで、どのビー玉とも交われない可能性も高まってきます。互いに孤立する危険を回避し、安全な居場所を確保するためには、色の違いが理由で衝突したり、弾き出されたりすることがないように、あらかじめ同じ色のビー玉同士で引っ付いておいた方が得策ということになります。 確かに、このようなつながり方は確実で安全なもののように見えます。しかし、もし何かの拍子に自分が変色してしまったらどうでしょうか。それまで同じ色のビー玉としか交わっていないと、その変色した自分を受け入れてくれるビー玉は、周囲のどこにも見当たらないことになります。いつも同質な仲間だけで固まっていると、いざ自分が異質な存在になってしまった時、その自分は排除の対象となるのです。 長い人生の中で、自分が変色することはままあることです。その可能性は、多かれ少なかれ誰の中にも潜んでいるものです。だとすれば、同質な関係だけをいくら増やしてみたところで、いざという時のセーフティネットにはなり得ません。現在のように便利なコミュニケーション手段がなかった時代は、避けたくても避けられない不都合な人間とも否応なく付き合わざるを得ませんでした。しかし、その関係を通して、実は不本意な自分、異質な自分との付き合い方も学んでいたように思います。 そもそも私たち人間は、ビー玉のように単純な色から成り立っているわけではありません。しかも、自分で知っている色以外にどんな色の要素が自分の内に秘められているのか、プラスの面も含めて、その全てを必ずしも自分で承知しているわけでもありません。私たちは、自分が想像する以上に意外な可能性を秘めた存在であるはずです。 私たちは、客観的な自分の姿を案外と知らないものです。鏡に映して初めて自分の顔を確認できるように、他者の反応を通して初めて自分がどんな存在かを知ることができるからです。想定内の反応しか返ってこない同質の相手だけと付き合っていると、良くも悪くも自分の潜在的な可能性に気付くことが難しくなってしまうのです。 会話の友だけでなく対話の友もつくろう 互いに同質だからこそ安心できる関係であるのは事実です。特に、今日のように流動性の高まった社会では、落ち着ける関係を確保しておくことも必要でしょう。しかし、そこだけに安住していると、自分の知らない自分に出会うことができず、変化の激しい社会情勢にも対応できなくなってしまいます。同質性に担保された関係は、表面上は安定しているように見えても、長い目で見れば脆いものなのです。 劇作家の平田オリザさんは、会話と対話を区別して、前者が価値観の類似した者同士のおしゃべりであるのに対し、後者はそれが異質な者同士で互いに理解し合う過程だと指摘しています。これから先の長い人生を歩んでいく皆さんには、会話の友だけでなく、対話の友もぜひ持っていただきたいと思います。さあ、今すぐにでも瓶の外へ飛び出し、異質な他者との新たな出会いを見つけてください。その関係を通じて、まだ見ぬ新しい自分ともきっと出会えるはずですから。12

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