IKUEI NEWS vol.77
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-----松村学長は愛知県立芸術大学のご出身と伺いましたが。 私は愛知県立芸術大学の3期生です。本学は昭和41年の創立で、私は昭和43年に入学しました。国公立の芸術大学といえば東京藝術大学を筆頭に、京都市立芸術大学、金沢美術工芸大学の3校に次ぐ4校目でした。 私の専門は日本画ですが、受験のときはデザイン志望でした。その頃は芸術大学、美術大学に進学するといえば親も親戚も大反対でした。そこで親の了解を取りやすいデザイン志望としたのです。 当時の大学受験は、東京藝大や京都や愛知でも併願という制度があり、複数の大学を受験することができました。東京藝大の次は愛知という具合で、受験会場は東京で見たことのある受験生がたくさんいました。国立の東京藝大から成績の良い受験生順に入学し、こぼれた人は違う大学に入る。とはいっても、あまり抵抗はありませんでした。文化の裾野が広く、芸事が盛んな地域の中の「芸術」-----愛知県の地域性と芸術の結びつきについてご紹介ください。 愛知県は文化の裾野が広く、歌でも音楽でも、多くのジャンルがあり、さまざまな芸事が盛んという特長があります。例えば、茶道といえばすぐに京都を思い浮かべますが、茶道人口と和菓子屋さんの数は京都に匹敵するか、ひょっとしたらそれを超えるほど多いかもしれません。寺社の数も4500ほどあり、3000社寺と言われる京都市を超えるのではないでしょうか。市内には京都の地名と同じ「伏見」などが点在しています。 本学の学生は愛知県出身者が多いといわれますが、結果としてそうなっているもので、意図したものではありません。県立だからと言って、県出身者を特別に扱うこともありません。半数の学生は全国各地から学びにきている学生で、いろいろな文化の背景を持ち、感性の異なるヒトの集まりです。だからこそ、新しい芸術が誕生する可能性が高まるといえるのではないでしょうか。「直指天(じきしてん)」は初代学長・上野直昭先生が残した言葉。「直指人心」という禅の句に由来し、常に高みを目指すことを忘れずに芸術活動に取り組んでほしいという願いが込められています。講義棟南側。片岡球子名誉教授の原画が壁に描かれています。愛知県立芸術大学を創立した当時の愛知は、高速自動車道と東海道新幹線の開通で、東京と大阪の中心にある都市としてその存在が大きくクローズアップされた時代でした。また、産業の動脈ともいえる愛知用水が完成間近、マイカー時代の幕開けで自動車産業が大きく飛躍しようという時でもありました。昔からの織物産業も活発で、愛知県には多くのヒト・モノ・カネが集まっていました。そんな中で芸術系大学創設構想が生まれ、音楽系を加えた総合芸術大学構想へと発展していきました。そして1966年、東京藝術大学、京都市立芸術大学、金沢美術工芸大学に次ぐ、4番目の国公立芸術大学として愛知県立芸術大学が誕生したのでした。愛知県立芸術大学 誕生の背景28

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