vol71
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学食で胃袋を満たし、仲間を作り、食を考える 「幕末から明治にかけて、福澤先生の私塾は、築地鉄砲洲から芝新銭座、そして現在の三田へと、その規模と教育環境を充実させつつ移転した。 『慶應義塾』と命名されたのは、芝新銭座に移った際のこと。そこにはわが国初の学生食堂が設けられていた」。慶應義塾大学のホームページには、わが国の大学の草創期から、すでに学食が存在していたことが書かれています。「これがおそらくわが国で初めての学生食堂であると言われている。……(当時の)『食堂規則』に『食事は朝第八時、昼第十二時、夕第五時と定む』とある通り、すべての塾生が一堂に会して食事を摂るようになる」。当時の学則にあたる「慶應義塾社中之約束」にも「食堂の規則」が掲げられ、食事時間の厳守や、食堂でのマナーや服装にも言及していたといいます(※)。 明治に入り、文明開化を背景に高等教育機関が次々と開校し、そのほとんどに学生食堂が作られました。とはいえ、明治時代の大学生はエリート中のエリート。学食はテーブルマナーの習得や、西洋料理を楽しむための場であり、今日の学食とは大きくその役割が異なっていたといえます。 第二次世界大戦後、復興が進み食糧事情が好転すると、大学に学生食堂が次々と開設されました。しかし、出されるものは定食にカレー、うどんやそばといった簡単メニューで、安くて空腹は満たされるが、おいしいとは言いがたいのが当たり前。その原因は、現代のような食事の栄養・バランスを考える習慣が希薄だったことや、女子大学を除き、大学生の圧倒的多数が男子学生であったことだと考えられます。食べ盛りの男子学生が満足する量の確保こそ、学食の最大の使命であったともいえます。 栄養バランスと学生の食べる楽しみを満足させる多彩なメニューへ移行し始めたのは平成に入ってから。それは女子の大学生が増え始めた時期と重なります(図表1)。やがて社会でも偏った食生活の弊害が指摘されるようになり、若い頃からバランスの良い食生活を過ごすことの重要性が認知されるようになってきました。 一方で、学食メニューの多様化を可能にするために、学食運営のアウトソーシングも急速に進みました。多くの大学では学生生協がその受け皿となって、キャンパスの学生や教職員の食を賄っています。 では、学生は学食をどう利用しているのでしょうか。次頁図表2は、アルバイトや転職情報サイトのタウンワークマガジンが調査した、大学生一人当たりの昼食代です。平均は461円で、500円以下との回答が81%。ランチに費やす金額はいわゆる「ワンコイン」が目安となっていました。 大学生の昼食にとって学食はどのような位置を占めているのでしょうか。同調査で「ランチでよく利用するのは」(複数回答)の質問に、男子学生と女子学生で違いは見られるものの、学食を利用するとの回答が男性57%、女性56%でほぼ同数、半数以上の学生が昼食に学食を利用すると回答しています(次頁図表3)。慶應義塾大学に見る学食草創期食堂からレストランへの変身学生のランチは「ワンコイン」(※)http://www.keio.ac.jp/ja/contents/stained_glass/2007/254.html020015010050平成元年度平成5年度平成9年度平成13年度平成17年度平成21年度平成25年度(万人)(%)図表1 大学(含む大学院)の男女別学生数と女子学生比率の推移出典:文部科学省「学校基本調査」・大和総研男子学生女子学生女子学生比率04540353025201510102

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