IKUEI NEWS Vol.70
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---------金沢市民の熱意により設立された金沢美術工芸大学の目的についてお聞かせください。 1945(昭和20)年、終戦直後の金沢市で現代美術展が開催され長蛇の列ができたといいます。それを機に、金沢がまだ何かできるかもしれないと、美術展に関わった人たちを核に美術学校設立の機運が盛り上がったと聞いています。設立主旨には加賀文化の継承・発展が謳われていますが、当時文部省に提出した設立趣意書には、第二次大戦で大都市が灰燼に帰す中で、戦火を逃れた金沢が日本の文化の担い手になり、国内産業の振興で日本の経済を復興するという、実利的な意気込みも見てとれます。 金沢には九谷焼、加賀友禅、金沢漆器、加賀象嵌などの伝統工芸があるところから、学校名にも「工芸」の二文字を入れ「金沢美術工藝専門学校」として創立されました。美術科の他に陶磁科、漆工科、金工科を置いての4科体制でした。1955(昭和30)年に4年生大学に移行し、現在の金沢美術工芸大学となりました。--------設立の目的は加賀の伝統文化・工芸の維持・発展だけではなかったのですね。 伝統技法を受け継いだ工芸科は、現在では伝統技術や技法を厳しく踏まえ、伝統的な素材を使いつつ現代を表現するという流れになっています。盆や椀、皿などの伝承は、輪島の漆芸研究所や九谷の窯元がありますし、卯辰山工芸工房という加賀藩細工所を伝承する施設もあります。そこには本学の卒業生の伝統作家もいます。大学での工芸授業でも産地見学で職人さんの工房を訪ねたり、卯辰山工芸工房の若手の研修生が本学の非常勤講師になったり、本学の教授が教えに行ったりと多様な交流があります。--------金沢美術工芸大学の学生にとって、金沢という町はどのような存在でしょうか。 金沢美術工芸大学が長男だとすれば、卯辰山工芸工房は次男、最近評判の金沢 21世紀美術館は三男坊の関係にあり、とても刺激的な環境だと思います。 特に金沢 21世紀美術館は、本学の教育にもいい影響を与えています。同館で本学の卒業制作展を開催していますが、これで学生の作品が多くの人の目に触れることになりました。その結果、学生の作品傾向が大きく変わり、非常に実践的になりました。東京の美術商が来館し、企画展への誘いもあります。そのほかに、著名な評論家や美術商の冠賞を設けて、学生にとってのモチベーションアップに繋げています。 --------学生は協調性や積極性、プレゼンテーション能力などの基礎力をどのように学んでいるのでしょうか。 どの科も午前中の授業は実技です。といっても、ただもくもくと一人で制作するだけではなく、ワークショップ形式でそれぞれプレゼンテーションを行ったり、自分のコンセプトやアイデアを披露したりしています。市民の熱意で設立された大学であることの重み刺激的で多様な価値観の中で学べることの幸せ各学科の実技授業の様子。キャンパス内に彫刻や絵画が展示されています。絵画や彫刻など各専攻の講評会では、まずプレゼンテーションが当たり前ですから。それに対し、教員からさまざまな意見が出され議論する、という双方向教育を行っています。 また、本学の講評会は必ず複数の教員が出席し、一つの作品に複数の意見を出す「合評会」です。結果として先生同士の評価が分かれたり、先生同士の論争に発展したりすることもあります。 金沢では昔から職人に意見や好みを告げて、もう一工夫させる役回りの「数寄者」という存在がいました。今でいうアートディレクター的存在です。職人は工夫をこらしそれに応えることで技が磨かれ、工芸文化の繁栄をもたらしました。まさにこれと同じことが授業の合評会でも行われているわけです。す き しゃう たつ やま24

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