
宗教学を専攻し比較宗教学ついて洞察を深める事と語学の習得。
平成16年1月~平成16年12月
セントラルワシントン大学(アメリカ合衆国)
Arts and Humanities
私の日本の大学での専攻はインド哲学です。インドを旅した時インドの霊性文化とその思想に出会い、強く引かれるようになりました。一方、西洋社会にはキリスト教があります。西洋と東洋の宗教思想は一般的に異質のものとして理解されがちです。例えば、インドの諸思想や仏教が輪廻転生を前提として説かれているのに対しキリスト教ではそれを認めません。確かに宗教間には多くの教義上の相違があります。又現在、世界中で宗教間の争いも絶えません。しかし、最初にこれらの教えを啓示した聖者や預言者、または神の子、神はそのような争いや分裂を奨励したはずはありません。
世界には様々な宗教があります。しかし、ランプは違っても内に灯る光は同じ。容器は異なってもエッセンスは一つ。自然の背後に在る真理は唯一なのではないでしょうか? これらの宗教は、表面的には民族や時代に条件づけられて違っているように見えるかもしれませ。しかし河川が大海で一つに溶け合うように、個々の山道が頂上に向かうように、本質的には一つなのではないでしょうか。
セントラルワシントン大学はシアトル近郊にあります。ヤキマ川や山々に囲まれ自然の美しい所です。私はそこで宗教学を専攻し、東洋と西洋の宗教思想を英語で学びながら、世界の宗教の多様性と宗教間の調和への理解を深めたいと考えていました。具体的には、神学的なアプローチからの神性の単一性への考察と、実践的にはキリスト教を学ぶこと、アメリカの人々がどんな信仰や考え方を持っているのかを知る事がありました。
現代宗教思想の授業で出会ったジョン・ヒックを代表とする宗教多元主義が、私の神性の単一性に対する考え方に対応するものでした。この授業では、キリスト教のみが真実の宗教であるとする宗教排他主義を始め、世界の宗教の多様性に関する様々な思想を学びましたが、ヒックは、すべての主要な世界宗教の中で救済や悟りは等しく起きており、それらは皆同等に価値のある道である述べます。又ヒックは、神性は最終的には唯一であると定義し、その唯一普遍のものが、様々な文化的背景や心理的傾向に条件づけられた人間の心を通して見られた時に、たくさんの違った名や形として認識されると述べています。
宗教哲学の授業では、世界宗教を代表する思想家、宗教家の書いたものを読み、私は特にキリスト教神秘主義と言われる聖テレサ等の記述の中に、東洋思想に見られる直観的神性の知覚と、イエスへの熱烈な信仰による自己放棄とそれに伴う心の浄化、それによっての魂の救済を見ました。信仰の力による、自己中心主義から信仰対象、例えばイエス中心の生き方へ変わることは、すべての主要な宗教の中にみられる現象です。道や方法論、従う先生は違ってもゴールは一つ、それはエゴイズムの破壊です。そのような心の清らかさはその人に、人間の理解を超えていると言われる神性を知覚するキャパシティを与えるのかもしれません。
又、ダライラマと西洋の宗教家との対話と通して、宗教間の対話がもし互いに敬い学ぼうとする姿勢があるならば、たいへん有意義で平和的であると知りました。その他にも聖典学や世界宗教の教義を個々に学ぶ授業を取りましたが、すべての偉大な宗教が同胞愛を説き、この生々流転する世界の中で人間としてどのように理想的に生きるか、心の制御の大切さ、人の魂や生と死の問題について教えています。
このように、民族や歴史的出来事に条件づけられた世界宗教の教義上の相違を超えて、そこに一体性のみを見ようとする思想は、自己の宗教の優位性を説く人々が多い中、宗教間の調和へ貢献するものです。もし私達が、様々な国の人々の、歴史的文化的背景の違いを本当に理解するならば、私達は他者の思想や信仰を敬いできる限り寛容であるべきです。私は初めにインドで、ヒンズー教の不二一元論* を基盤として世界の様々な宗教を包括し、神性の単一性を説く思想に出会い、又アメリカでも宗教学の授業を通してジョン・ヒックの宗教多元主義に出会うことができました。
* 不二一元論 梵我一如の思想。宇宙の最高原理ブラフマン(梵)と人間の個我アートマン(我)は同一であるとする、ひいては、すべての存在は最終的には梵に帰するとする思想。“すべてはブラフマンなり”はインドの聖典ウパニシャッドのエッセンス。
アメリカでキリスト教を学ぶにあたって、クリスチャンの人々が世界の宗教の多様性と調和に対してどのような意見を持っているのかたいへん興味がありました。私は週一回牧師さんからバイブルを習っていましたが、その牧師さんやクリスチャンの友人達との交わりを通して、キリスト教のみが正しい又は優れた道であり、他の世界宗教は劣ったものであるとする考え方が如何に多く根強いかに驚かされずにはいられませんでした。にもかかわらず、この留学でかけがえがないと感じているのが、このクリスチャンの人々との交流です。私は彼らとの係りを通して異文化間や宗教間、又は宗教的な対話のむずかしさを知ると同時に、互いに考え方の相違を認め合い敬っていく過程のすばらしさを知りました。
時には私の持っているインド哲学の知識と彼らのバイブルの知識を交換し、違いや類似点などについて話し合う、そういった対話ができる友人に恵まれたと思います。週末は彼らといっしょに教会へ行ったり奉仕活動に参加したりします。又食事や、映画を見てすごす時間も多いです。クリスマスに見たIt's a Wonderful Lifeというオールドムービーは親友のお気に入りの映画で、本当にすてきなものでした。又哲学科にはユニークな人が多く年齢層も幅広く宗教も様々で、授業が終ってもまだ討論がクラス外で続いていることも良くありました。そんな時は友達のそばでおとなしく聞いているのが常でしたが、今では意見も言えるようになり、苦手だった討論形式の授業もとても好きになりました。様々な人々との係りを通して、英語で学び話す楽しさ、そして文化や言語、考え方の違いを越えてheart to heartで接する楽しさを知りました。
又、留学期間に得た成績と教授の推薦によって留学生対象の奨学金をいただけることになり、留学期間をしばらく延長できることになりました。