
言語学・国際コミュニケーションについて 本大学にはない授業などを取ること。
平成18年9月~平成19年6月
University of California - San Diego(カリフォルニア州・USA)
John Muir College International Studies - Linguistics (言語学)
まず初めに国際基督教大学(以下略: ICU)、そして電通育英会に交換留学に行く機会を下さって本当に感謝しています。この機会を見逃していたら、きっと自分を見つけることが出来なかったし、自分がこれから先、何をしたいかがきっと分からなかったでしょう。この一年間は私が人生で経験した中で最も素晴らしいものとなり、振り返って見ると、自分が人生の色んな面で成長出来たということが分かります。
留学について考え出したのは ICU に入学する前からでした。高校生の時、私はいつも日本から出てアメリカに行きたいと言っていました。しかし、家計の事情等からして、日本にいなくてはなりませんでした。 ICU がとても素晴らしい交換留学プログラムを持っていると聞き、インターナショナル・スクールにずっと通っていた私のような人にはぴったりな状況だと思いました。
大学2年生になり、留学に行きたいとすぐに確信し、とてもきれいな天候と空間を持つカリフォルニア州に行きたいと思いました。ちょうどこの時、UC Berkeley や UCLA で一年間留学をしていた2006年卒業の先輩たちと仲良くなり、彼らはどれだけ最高な年を送り、自分たちの人生を大きく変えた忘れられない経験についていっぱい語ってくれました。書類を書いたり提出するのは永遠のように感じ、たくさんあったインタビューに時間が掛かりました。UC 大学から ICU に留学していた学生たちを知った時、UC 大学それぞれが強い分野・弱い分野があると教えてくれました。私はコミュニケーション学・言語学専攻だったので、UCLA と UCSD に選択を絞りました。しかし、北カリフォルニアがどういう所かも知りたかったため、UC Berkeley にも希望を出しました。
合格通知が届いたり結果待ちに時間が掛かったものの、UCSD に合格したという手紙がようやく届きました。その地点から先がとても楽しみになりました。2006年卒業の先輩たちが更に色んな話をしてくれて、UCSD から ICU に来ていた留学生たちは UCSD がどんな大学かということを教えてくれました。私の手違いで入国書類が通るのに時間が掛かってしまいましたが、2006年8月11日に何とかビザをもらった後にサン・ノゼ空港に旅立ちました。カリフォルニアでの人生がどういうものかを知りたかったため、日本を早めに経ち、サンフランシスコの近くである家族と一緒に暮らしました。これは私にとってとても良い経験であり、カリフォルニアでの生活に早く慣れました。
サン・ディエゴに旅立ったのはその一ヶ月後でした。この時、私は南カリフォルニアがどんなものかを知りたくて待ち遠しく、東大で留学していた友達が空港まで私を迎えに来てくれました。その数日後、一年間住むことにした International House という寮に到着しました。UCSD での国際寮はカリフォルニア州だけではなく、アメリカ全体でも良いと知られている寮です。私は六人用のアパート部屋に住み、キッチン、リビング、2人部屋とシャワーが一階に、1人部屋が四つ、シャワーと洗面台が二階にありました。「UCSD にようこそ!」プログラムでとても疲れてしまい、お直しが必要だった自分の部屋のベッドですぐに寝てしまいました。次の週からたくさんの教科書や学校で必要な物を本屋で買い、だんだん大学生活にも慣れてきました。
授業は全て次の週の月曜日から始まり、全てに対してとても緊張していました。だけどパニックに陥ることは決して必要ではありません、ルームメート又はキャンパスを良く知っている人に授業前夜に授業がどこで開始されるかを聞けば良いだけのこと。最初の二週間は授業変更をしたり授業に慣れるためにあります。4週目には中間テストも始まり、勉強室は朝まで使われ、個室の部屋の明かりはひたすらつけっ放しです。WebCT のシステムは授業内容を教授が載せたりし、UCSD のウェブサイト Tritonlink や電子図書館の書物も便利でした。
最初の秋学期には4つの授業を取りました。「MUS 15 ロックスターの分析」は非常に興味深かったです。エルビスからマドンナまでのロック音楽についてこんなに授業では習ったことがありませんでした。田中教授の「HIEA 112 19世紀~占領までの日本」はとてもおもしろく、日本についてのことをアメリカ人からの目線から見たのがとてもおもしろかったです。教授は日本の女性が OL だけではなく、仕事をする人として育てられたことや、日本が戦後にどう思ったかなどについて語りました。私自身も日本人なので、初めはこの目線からの授業内容に不信感を感じましたが、彼の授業やディスカッション授業に行く程、授業がどこに辿り着こうとしていたのかが見えてきました。日本についての他の国の人がどう思うのかを教わった授業となりました。「LIGN 170 言語心理学」は私は一緒に留学していた友達にも難しい内容だったものの、教授の授業内容についていくにはちゃんと復習と予習をするのが大事だと分からされました。これが役立つと分かった瞬間から当たり前、でも、とても便利なこの方法を他授業でも使うようになりました。
長い冬休み後、UCSD での生活は初めの学期よりも落ち着いたものとなりました。一度も取ったことのない経済の授業、「ECON 1 経済学I」などにも挑戦しようかと思いました。カンディド教授の授業全てに行き、教授アシスタントの授業にも行ったものの、大学生活の中で一番難しかったと思われる授業となりました。「MUS 15 テクノ」は前学期と同じ教授が教える授業となりました。更にもっと挑戦することにし、UCSD 以外にも SDSU や他短大で15年以上教えているアーチディアコノ先生の「TDMV ジャズ・ダンスI」を取ることにしました。彼女は体操の方法を教えてくれ、朝8~9時の授業に間に合うために7時半起きは辛かったもののアーチディアコノ先生だったからこそとても楽しいダンスをいっぱい教えてくれました。中間や期末では、ロックス・アンド・ポップスのアーティストの音楽に合わせたものを踊り、先生が考え出したダンスの細かい動きはとても創造的でした。
最後の春学期では私の大好きな歴史の授業を取り、最後の学期を忘れないようなものにしようと思いました。「HIEU 128 1945年以来のヨーロッパ」は学生のことをいつも思ってくれていたバイス教授が教えてくれました。彼も若い頃アメリカで留学し、私と少し似たような面を持っていました。「HIEA 114 戦後の日本」を同時に取っていたので、両授業ともとても分かりやすかったです。歴史を2教科取っていたため、「LIGN 120 言語形論」も専攻内容として取りました。授業内容はとても難しく、毎週でた宿題の難関を越えつつ、UCSD での最後の学期を満喫しようと試みました。
これらの学期中、「MUS 95G ゴスペル合唱」は自分にとって一番良かった経験になったかもしれません。アンダーソン先生が教えてくれた歌のメロディーや歌詞は心に響き、彼のユーモアと楽しい性格は私をもっと授業に釘付けにしてしまいました。毎学期一度あるフィナーレ・コンサートでは700人以上の合唱メンバーが一緒にマンデビル会場で歌いました。また、アンサンブルにも入っていたため、授業外でも歌を数曲披露することが出来ました。
UCSD での学問は全体的にとても良く、頑張り屋ならきっと自分にとってもよい大学だと思います。宿題の山やテストが同時に進行しているのは大変でした。私が成し遂げた大きな成功は UCSD のホッケー・チームを復活させたことだったでしょう。小学6年生~高校3年生の時までやっていたホッケーは ICU に入ってからとても恋しかったです。けれど、UCSD でホッケーをやっている人を数人見つけ、ある日一緒に集まってやったのがきっかけとなりました。中間テストのため行けなかった北カリフォルニアのトーナメントもあったものの、そこに招待されただけでも嬉しかったです。大学生活で経験していなかったクラブ活動が出来て本当に良かったです。
日本での家庭外では住んだことがなかったので、寮での生活はとてもいいものとなりました。エチオピア、メキシコ、香港、そしてスコットランドで留学していた二人と一緒に住んだ部屋はとても国際的でした。私の部屋の大きさは一人部屋と同じでしたが、二人部屋としてルームメートのエムネットと一緒に住んでいました。彼女は生物学を勉強していて、彼女のテスト前夜などは何時間も起きていて、お互いに生理整頓はあまり出来なかったものの、彼女の汚さには驚かされました。時々、生活状況について話をしなければなりませんでしたが、お互いを理解する為にはとても良いことでした。UCSD には食堂が数々あり、私は特に寮の近くにある Cafe Ventanas か OVT によく行っていました。食堂で友達と話すか、家に帰ってルームメートたちと一日何があったかを食事と共にしていました。I-House は Sunday Supper、I-Cares、I-Hop、International Day、文化夜などの素晴らしいプログラムがたくさんありました。一番印象的だったプログラムが「日本文化の夜」というプログラムで、日本の文化について色々と伝えることが出来ました。
UCSD に行って、自分のアイデンティティーや自分が興味あるもの、自分が何を直してもっと個人的になれるかなどを知りました。日本にいた時は自分の意見を出したり、考えていることをはっきりと言うことが出来ませんでした。いつも親や友達ばかりに頼っていて、周りの流れで通していました。けれども留学し、自分の将来や卒業後についてよく考えてみました。ボストンのキャリア・フォーラムにも行き、就職活動の第一歩も経験しました。Eメールなどでキャリアウェブサイトの最新情報も見ていました。このようなことをすることによって、自分で全てをこなし、自分でやらなければいけないことをたくさん知りました。その中でも、日本人の友達たちは皆私と同じ経験をしていたので、何だか少し安心出来ました。
I-House で一生忘れることのない友達にたくさん出会えて本当に良かったです。皆留学生だったので、お互いを助け合うかは他の人以上にしていたでしょう。自分で色々管理しなければいけなかったので、強くなったとも言えます。自分の口座を銀行で作り、お金の管理をするのは大変でした。しかし、お金もそんなに無かったため、管理はとても大事でした。
最後に、学生として留学した年が一番自分の中で最高な年となりました。アメリカでの学生生活がしてみたかったので、本当に体験出来てよかったです。アメリカや世界中にたくさんの友達がいたので、彼らの話を聞くといつも自分も経験したいと思っていました。留学は良い成績や勉強だけでは作られていません。このプログラムは学校で、学校外で、行く場所で新しい人にたくさん出会い、自分のいる文化を受け入れることが一番象徴されていると思います。様々な人がいる環境でいた一年間、皆とても違うけれど逆に同じであるということも分かりました。プラス思考で考えることによって、とてもいい日を毎日送れたような気もします。自分はもっとプラス思考になり、自分に対して良き悪き関係なく、事実をもっと受け入れられるようになりました。待っていて自分の前に何か現れるのを待っているだけではだめです。自分で答えを探しに行き、ちょっとでもやってみたい!という気持ちがあるなら必ずやるべきです。留学に行き、精一杯毎日を行き、絶対会わないと思っていた人にきっとたくさん出会えます。留学とは言葉だけでは表すことが出来ないとても素晴らしい経験でした。