
将来教育開発学分野専門家として社会貢献ができる人間へと成長する。
平成21年9月~平成22年4月
国際教養大学
グローバルスタディーズ学科 3年
私は2009年9月から2010年4月まで、カナダのトロント大学に留学した。留学した最大の目的は、 将来国際開発分野において貢献できる人材になれるよう、知識、経験を積み、感性を磨くことである。 そして多くの方がサポートして下さったお蔭で、実りある学びをすることが出来た。
まず、私はトロント大学で教育開発を学びたいと考えていた。教育を受けることは経済発展・安定と密接に関わっており、 また保健の知識、権利・義務の認識にもつながる。私自身、今まで受けた教育は掛け替えのないものであると認識していたため、 開発分野の中でも特に教育開発に身を投じたいと思っていた。よって知見を広げるため、教養学および教育学を学ぼうと考えていた。
実際トロントへ行ってみると、教育分野の授業は正規生のみの受講であるため、留学生は取ることが出来なかった。 よって出発前に予定していた科目のうち「植物と社会」以外は履修を組みなおすことになった。だが履修可能科目内で興味深い講義を見つけることができ、 「人類学的紛争ケーススタディー」、「海洋哺乳類学」、そして「現代文化における性・人種・階級」、を履修することが出来た。 また、教育専門ではない受講授業においても、時折教育について触れることがあり、幅広く教育について学ぶことができた。
そのなかで特に印象に残っている講義は、ジェンダー関係の授業で行った「テレビ文化」についての模擬授業だ。私たち学生7名は、 中高生を対象とした模擬授業をプレゼンテーションの形式で発表した。テーマは、北アメリカで放送されるドラマに根深く存在する、 「正しい家族」のステレオタイプについての再考だ。カナダ・アメリカでは、離婚や再婚、養子縁組、ゲイ・レズビアンカップル等、 家族構成は多様だ。近年テレビでも、ゲイカップルや養子縁組がとりあげられ、その多様性を反映する番組が増えてきた。しかし、 ゲイカップルは白人系であることがほとんどであり、その他の人種は排除されがちである。また、アジア系はまじめで受身、メキシコ系はいい加減等、 人種や出身地でひとくくりにし、偏見・ステレオタイプを押し付けてくることも多々ある。よって私達は家族構成についての統計やテレビ番組の変遷を クイズ形式で紹介し、テレビから無意識のうちに刷り込まれるステレオタイプについて話し合いを設けた。そして最後に私たち自身が役者となり作り上げた、 仮想テレビドラマのオープニングを上映した。私達のグループは、外見が中東系、ヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系と多様さに富んでいた為、 様々な家族構成を取り入れた作品を創ることができた。作成過程では、精子バンクなど性の話題をどう取り扱えば冷やかしではなく真剣に考えてもらえるかなど、 グループのなかで意見が割れることも多くあった。しかし失敗を重ねることで、最終的に納得できる授業の型を作ることができた。時間をかけ遠回りをしたが、 それでもよりよいものを目指し妥協せずに取り組めたことで、より深く教育のあり方を考えることが出来たと思う。
教育に加え、開発分野全般についても学ぶ機会が多くあった。私は元来、援助側の押し付けなく教育開発を行う方法を学びたいと思い、 留学先にカナダを選んだ。カナダは「心情的援助国」と呼ばれ、開発国の要望を汲み取って援助する国だと以前本で読んだことがあったのだ。 しかし受講した人類学では、カナダを含む所謂先進国による開発協力の負の面を隅から隅まで話し合うこととなった。実際、他国に比べて 負の面が少ないと思い込んでいたカナダで、開発の悪影響について語り合ったことは、とても面白く、実りの多い学びであった。講義は、 ヨーロッパ諸国が植民地としてアフリカ・南アメリカ各国を侵略していったところから始まった。そして開発協力は、ともすれば植民地化と 同義語であること、また西洋諸国こそが貧困や紛争の根本を造っていることを学んだ。私は時に目から鱗の話を聞きながら、同時に、 教授は西洋中心主義を批判しているにもかかわらず、西洋中心の視点で情勢を分析しているのではないか、と自分なりに批判的思考を用いて考察した。 そうすることにより、今までぼんやりとしか解っていなかった中東問題や各国紛争状況について具体的に学ぶことができただけでなく、 開発専門家として働いていくということはどういうことなのか、私は何を望み何をしようとしているのか、改めて熟考することが出来た。
講義の中で特に、開発援助の多くは、ドナー側の経済発展および国際的地位確立に貢献し、所謂発展途上国側のメリットが少ない、又はない、 という議論は衝撃的であった。よって実際どれだけODAやNGOが現地の人々に貢献しているかを考えるため、講義の合間を縫って環境と女性の エンパワーメントを主に手がけるNGOにてボランティアを行った。主な活動はトロント市内における貧困問題・環境問題の啓発活動である。 活動を通して、大学の講義で議論したように、募金収集のための広告は「アフリカにいる人々は皆可哀想」等の誤ったステレオタイプを 広めている事実があると感じた。しかし奇抜で創造的なアイディアを用いた啓発活動は、確かに人々の意識を諸問題に向ける力があることも学んだ。 またクリスマス休暇には、他国の開発援助影響等を学ぶため、グアテマラを訪れた。市内はアメリカからの輸入品が溢れ、アメリカ発の ファーストフード店がひしめいていた。またスクール・オブ・アメリカの問題も機会あるごとに耳にし、経済力・政治力のある隣国の存在に ついて多く議論することが出来た。同時に、知的障碍のある子供たちの孤児院でボランティアをさせてもらったことで、人種・国籍・経済力・ 障碍の有無・性別・その他すべての区分を超えて、人はみな同じ人であり、言葉なしでも多くのコミュニケーションが出来ることを知った。 開発援助を考える際、ドナー側(外国人)と受け取る側(地元民・市民)とに分けて考えるが、そもそも「国籍」や「現地人と外国人」とは何なのか、 改めて考えさせられた。
国家その他社会問題について議論・考察する機会は、公開講座でも多く得ることが出来た。中でも第二次世界大戦当時の慰安婦問題についての講義では、 私が持っていた偏見・ステレオタイプを認識することができ、とても衝撃的だった。講義の後、共に参加した香港系カナダ人の友人と延々ディスカッションを行った。 その中で、お互いが、自国の教育・メディアから刷り込みを受けていること、お互い疑うこともしなかったそれぞれの「真実」が、 実は信頼性の薄いものであることを発見した。悲観的にならず、それでも「日本人」として生まれ、日本国籍を有する者として、 未来に繋がる方法で責任を果たしていきたいと改めて感じた。そしてこの意識をどう開発分野に結び付けていくか、今後の課題として掲げていこうと思っている。
トロントで学び、考えたことを受け、留学後、紛争解決学を学び始めた。特に授業の一環で読んだ、難民と受け入れ国国民の間に起こる暴力的争い・偏見・ 差別問題について深く考察したいと考えたため、留学後の夏休みを利用して、ケープタウンにある難民サポートNGOにてインターンシップを始めた。 インターンでは、タウンシップにおいて紛争解決ワークショップを開催したり、専門知識・技術を持つ難民の就職支援サポート方法のリサーチを行なったりしている。 今まで文献から学んでいた内容を、具体的に考え、肌で感じることにより、トロントでの学びをより深いものへと発展させることが出来ている。 またトロントで始めたフランス語も学び続けている。トロントでの留学は終えたが、そこで学んだ知識、考察力、そして探究心はこれからもっと磨いてこそ、 留学した甲斐があると言えると思う。今後大学・大学院と開発学・紛争解決学を学び続け、後に紛争解決分野で社会貢献できる人間に成長していけるよう努力していこうと思う。