
アメリカ社会からみた国際関係学を学ぶこと
平成15年9月~平成16年6月
ワシントン大学(アメリカ合衆国)
Arts and Sciences学科
私は交換留学生として一年間シアトルにあるUniversity of Washington(UW)(ワシントン大学)で学んできました。私は早稲田大学で国際取引法を専攻しており、UWではJackson School of International Studies が高い評価を受けていると聞き、国際関係学を学びたいと思いUWを選びました。
留学前に抱いていた希望や、経験したいこと、全てこなしてやろうという意気込みで私の留学生活はスタートしました。
最初に学業について述べたいと思います。
交換留学生は学部枠にとらわれずに、基本的にはどの学部からもクラスを履修することが可能です。しかし、レベルが高くなるほど、専門になるほど、基礎クラスを履修していることを条件としています。またそのようなクラスほど少人数制で一人一人の参加が求められます。
国際関係学の興味のあるクラスは履修条件が満たず、登録することはできませんでしたが、聴講は許されたので、International Business(国際ビジネス)のクラスは教授が非常によいと聞き、しばしば聴講していました。一方的に講義をするだけでなく、いきなり指名されて答えなければならないので、教授の話を追うのに必死でした。いつ指名されるかわからないので、80分間緊張で張り詰めていました。慣れてきたころには適度な緊張感がやる気を沸き立たせてくれ、本当にクラスに参加しているという実感がもてました。
国際関係学でも、もちろん基礎クラスは履修することができましたが、私はあえて取りませんでした。国際関係学を学ぶことを目的としていたものの、アメリカにしかない学問、Asian American Studies(アジア系アメリカ人に関する研究)に出会ったからです。日本ではそのような学問があることさえ知りませんでした。しかし、多様民族国家であるアメリカ、とくに西海岸にはアジア系アメリカ人が多く移住しているため、AASの研究は盛んだそうです。
私は自分でも思っていなかった程にAASに興味を持ち、2学期間AASの授業とリサーチに取り組みました。きっかけはやはり、同じ大学内でのアジア系学生の多さに驚かされた事です。西海岸なのでアジア系の人口は多いと聞いてはいたものの、大学街には90%以上がベトナム、台湾、中華、韓国料理などのアジア系のレストランが占めており、構内でも人数的にはマイノリティーには思えないほどでした。またシアトルではエスプレッソに次いで人気なのが台湾発祥のバブルティーのカフェでした。シアトルでは市長がAsian Americanとして初当選するなど、アジア系の勢いが盛んです。街も人もアジア系に囲まれることが少なくない中、自然と彼らについて興味が沸いてきました。一見同じアジア人なのに英語を流暢に話していること、アメリカ人と違和感なく一緒にいる光景をみて、彼らはどうやって英語力をあんなにもつけたのだろうなどと、羨ましいなという目でみていました。外見は同じアジア人なのに、彼らの多くはアメリカ人であり、アメリカで生まれ、英語を母国語としています。初めは少し驚いた事もありましたが、同じアジア系として親近感がもてました。特に日系人は、日本語を話せなくても日本に興味を持っている人が多いので、自然と仲良くなりました。私の研究対象は友達の移民の歴史であり、彼らから学び取ることも多くありました。
初めはcontemporary problems(アジア系アメリカ人が現代に抱えている問題)について勉強しました。90年代初期からのアジア諸国からの新移民の歴史、差別、それに対する運動などを学びました。次の学期には専門的にAsian Americans and Pacific Islander Americans and the Law(アジア人に対するアメリカの移民と法)について学びました。ここでは日本で英米法を勉強していたのですが、それがとても役に立ちました。法律用語やアメリカ憲法についてやはり前知識があると、英語での教授の講義も理解しやすく、またクラスのディスカッションにも自信を持って参加することができました。
私が一番関心を持った分野は移民法と市民権の問題です。歴代アメリカの移民法はどうやってアジア移民を排除するかということに必死でした。それは全て矛盾に満ちたものでした。市民権がないからアメリカから追放されるのですが、そもそもアジア人は市民権を持つ資格がないからといって付与することさえしない。いくつかの判例研究をしても、最終的に辿り着く結論は、"アジア人だから"という人種的差別でした。どんなにアジア移民が増えても、彼らは劣等であり、マイノリティーとして扱われていました。このような差別的な待遇を受けている中、アジア移民たちは決して黙っているわけではありませんでした。一番印象に残っているのは、大戦中の日系人の強制収用です。差別に対して立ち上がる日系人の別個の判決は、同時に裁判の限界をも示しています。平等、正義を掲げるはずの司法機関も、そして裁判官自身も、アジア人排斥の扇動に呑まれていました。時代と国民感情に影響された不当な判決は戦後再審を認められ勝訴しましたが、やはり今日でもメディアや、高等教育入学条件などを見ても、アジア系に対する偏見と差別は続いています。
現在、アジア系の人の中には、戦後移民してきた人も多数います。飲食店やクリーニング屋など一から始める人や、自国で成功してからやってくる人もいます。ですから、一様にアジア系と称しても境遇は様々です。UWで学んでいる学生はほんの一部のエリートです。移民が集まり形成されたInternational District (中華街のような地域)には英語もろくに話す事ができない人もいます。そんな彼らの由来を研究していると、シアトルにあるInternational Districtを、ただ中華料理や日本料理を食べに行くだけでなく、どのような人たちがこの地域で生活しているのかなど、興味深く見るようになりました。
今まで表面上のアメリカにおける人種差別しか知りませんでした。しかし、今回の研究によって、対象をアジア系アメリカ人だけに絞り、法律という物指を通してより深く学ぶことができました。人種差別は時代と共に蓄積れてしまっており、あからさまには現れないまでも差別は現在まで引きずっています。International Districtが栄えているように、全てのアジア系移民そして、全ての人々に栄えがあるよう、その対策や社会作りに参加することが私の次の課題だと思っています。
私は大学の第二外国語としてドイツ語を勉強していました。このまま語学を忘れたくないと思ったので、ドイツ語のクラスを取りました。また、語学のクラスを取ったのには他にも理由があります。第一に、日本の大学での語学の授業に疑問に思ったからです。日本の大学では主に文法を一通り教わります。しかし会話力や発音にはあまり力をいれません。ですから多くの人はなかなか"話せる"域には達しません。日本人は他国の人に比べて、語学に長けているとはいえない気がします。そこでどのように他の国では外国語教育がなされているのだろうと思いました。第二に、語学のクラスは少人数でしかも毎日あるので友達が作りやすいというメリットがあるからです。他のクラスは講義であれ、少人数制であっても授業が終わると皆さっさと教室を出ていき家に帰ってしまいます。ですから、友達を作る機会は難しいのです。クラス内では仲がよくなってもそれ以上に、クラス外でお互いにコンタクトを取り合うまでに発展することはめずらしいと聞いていました。
私は2学期間ともドイツ語を履修しました。毎日のクラス、毎日の宿題、高校生に戻った感じがしました。シラバスにはカリキュラムがみっちり詰まっています。先生の説明やお話に私たちがドイツ語で相槌を打ったり、応対したりします。生徒は積極的に話す機会が与えられ、何と表現するか分からなくても、英語のヘルプを交えてでも、ドイツ語を話そうとします。クラス内では教師は全てドイツ語なので聞き取るのも必死でした。日本語でドイツ文法を教える、問題集の穴埋めをするという授業では全くありません。語学に対する興味を最大限に伸ばしてもらえる授業だと思います。日本以外の語学教育を体験することができ、学習の段階からのコミュニケーション力の育成ということが大切だと痛切に感じました。
2クラスとも私は素敵な先生と友達に恵まれました。他の各国留学生と仲がよかった私は、アメリカ人の友達はドイツ語のクラスで仲良くなった人がほとんどでした。彼らとは共通の興味を持つことができたので、勉強面でも刺激的な存在でした。
この留学の機会を利用して、私は新しい体験に飛びつきました。平日は授業を中心にがんばり、課題をこなし、講演会に行ったり、広々とした緑のキャンパストラックでランニングをしていました。週末は教会のサービスやボランティアに参加したり、友達と遊んだりの生活でした。勉強と遊びにけじめのある生活ができました。新しく経験したことは沢山ありますが、中でもスノーボードにはすっかり打ち込んでしまいました。冬はスキー場が車で一時間という好条件で、何度も友達と一緒にゲレンデへと向かいました。他にもシアトルは自然に恵まれているので、ボートやスキー、ロッククライミング等アウトドアスポーツが大変盛んでした。
最後になりましたが、留学期間中、特に私は将来についてあれこれと探求している時でした。この間、多くの人々と出会い、私が分かった一番大事なことは「決まった生き方なんてない」という事でした。日本では進路なんて順番が決まっているような感じがしていましたが、シアトルで出会った彼らの道はそれぞれ違い、個性的でした。自分が進みたいこと、やりたいことを追求していました。彼らの姿を見ていると、今までの自分がとても小さく見えました。これからは、もっと広い視野で考えられる、そして自分から新しい道を築き上げる、そんな気持ちでがんばっていきたいと思っています。
私のUWでの留学生活は大変充実したものであり、貴重な体験となったことは確かです。帰国後にUWの学部長から成績平均点の優秀者としてお手紙を頂き、大学のDeans listに名前が載るとのことです。いい成績をとろうという意識は全くなく、ただ、本当に興味が持て、課題も他の学生に置いてかれないように努め、各教科に対して自分から向上心を燃やして取り組んでいました。そういう姿勢で勉強していたので、お手紙を頂いたときは嬉しさよりも驚きの方が大きかったです。効率良く勉強と遊びに時間を割り当てることができた充実感のうえ、さらにこのようなお手紙を頂き、満足感に浸っています。勉強するということを理解し、またその喜びを得ることができました。