
現地でフランス文学や映画、演劇の学習
平成18年9月~平成19年6月
国立リヨン第三大学(フランス)
文学部
私は交換留学生として一年間フランスのリヨンにある、リヨン第三大学で学んできました。私は横浜国立大学でマルチメディア文化課程を専攻しており、とりわけフランス文学やフランス映画に興味を持っていました。どの国の文学や映画をとっても同じことが言えると思いますが、文学や映画の背景にはその国の歴史や風土、そして文化があります。ただ翻訳された作品を鑑賞しただけでは、見えてこない姿や、理解し素直に頭に入ってこない感覚があると思います。フランスに留学する一年前の私は大学二回生であり、フランス語自体も大学の授業と自学で一年と少し勉強しただけでした。そしてフランス文学や映画に関しても、アカデミックなレベルではなく、自分の興味の範囲でしかまかなえていないと言うものでした。また海外自体も全くの初めてだったわけです。しかし私はこの状態を逆に利用しようと思ったのです。つまり、全く無とも言える状態でどれだけカルチャーショックを受けることが出来るか、そしてどれだけ自分を持って突き進むことが出来るか。この柱を持って私は留学に向かいました。
最初に学業について述べたいと思います。 派遣先であるリヨン第三大学には、言語学部、文学部、法学部、経営学部、歴史学部、などがあります。交換留学生は学部枠にとらわれずに、自由に自分の取りたい授業を選ぶことが出来ます。そして授業には上限はなく、好きなだけ授業をとることが出来ます。しかし、一つの授業にはCMとTDと言う授業が一対になっています。簡単に話しますと、CMは日本の大学の一般授業のようなものであり、TDは日本の大学のゼミクラスのようなものです。一授業は短くて一時間、長くて三時間半あるものがあり、その授業によってまちまちです。そしてCMの授業はただ先生が完璧に書き上げた文章を永遠と読んでいくだけです。板書はただ重要な単語や、綴りのわからない単語だけが書かれる程度です。私は友人わからない単語を教えて貰ったり、授業後にノートをコピーさせてもらったりしながら、なんとか授業についていこうと必死でした。TDの授業は一人当たり15~20分を目安として、与えられた課題について発表をしていきます。形は授業によって様々ですが、基本的にはこのような形の授業展開でした。
フランスも9月~1月の前期と2月~6月の二期制です。言語力に不安を感じていた私は、前期は言語学部の日本語学科の授業を多くとっていました。授業は日本語とフランス語の双方からの翻訳、そして日本語学、また日本文学や映画など、様々な角度から日本を見つめることが出来ました。こうして他国から日本語を見つめていると、今まで疑問に思わなかった問題にぶち当たりました。例えばよく日本人が使う言葉に「よろしくお願いします」と言う言葉があります。しかし、これをフランス語に翻訳しようとしても、適切な言葉が出てきません。この「よろしくお願いします」と言うことが人間関係を穏やかに保とうとする「和」に加担した言葉であり、白とも黒とも言わない典型的な「グレー語」でもあります。
また日本語には主語が省かれていることが多々あります。私達日本人は、話の流れでその話の主人を想像し、話し手は何度も主人の名を出して話の腰を折ることなく、スラスラ言葉を並べ立てていきます。聞き手もちゃんとそれを心得ています。しかしそのような慣習を持っていない人たちにとっては、いちいち文頭に戻って主語を確かめないといけない不便さがあると言い、その曖昧さを指摘していました。今まで何気なく使っていた日本語の不可解さや曖昧さを外国人から指摘され、改めて日本語を学ぶいい機会になったと思います。
後期からは言語学部の授業を選ばず、文学部や歴史学部の授業を多く選びました。文学部の中には映画や演劇の授業もありました。映画に関してはリヨンと言う土地はかなりゆかりのある土地でした。映画の父と言われるリュミエール兄弟はリヨン出身であり、リヨンにはリュミエール博物館もあります。ですから授業においても映画と呼ばれるものの原型から、そしてヌーベルバーグと呼ばれる新しい時代の作品達、もちろんしばしばフランス映画と比較されるハリウッド映画をフランスの視線から眺めることも出来ました
演劇の授業に関しては、とてもいい学びといい経験をさせて貰いました。フランス演劇という枠にとらわれず、イタリア・ドイツ・スペインなどと言うように、時代を追っていきながら、また各々の土地でどのような演劇を、そして演劇が各々の土地ではどのように位置づけられていたかを学ぶことが出来ました。私は今までTDの授業では皆の前での発表をレポート提出に変えてもらっていたので、一般生徒の前で発表をすることはありませんでした。しかし、この演劇の授業の先生は、「この授業では初めての日本人留学生がいるので、この機会にヨーロッパのみならず日本の演劇についても扱ってみましょう。」と提案し、日本の演劇に関して簡単な発表と質疑応答を私に求めました。私は恥ずかしい話ですが、歌舞伎や狂言、能を一度も見たことがありませんでした。知っている事も人並みであり、私を通じて初めて日本の文化に触れる人々の前で発表できるものでもありませんでした。それでもなんとか形にしようと、インターネットや図書館にあった日本文化に関する書籍でレポートを書き、そして簡単な質疑応答が出来るように備えました。どれだけ私が言いたかったことが伝わったかは分かりませんが、皆とても興味深い様子で聞いてくれました。これはどんなフィールドでも言えると思いますが、留学して海外の文化や学問を学ぶ前に、母国の文化や学問に対しても同じく目を向けていかなければ、本当の学習にもつながらないと思います。あまりに身近にありすぎていたために特に気にしていなかった文化、又今の時代からしてみれば関心になりにくい文化も、世界的な視線で眺めていると、その思考の転換とも言える違いに驚かせられることもしばしばあると思います。例えば「能」に関する思考です。「能」はかなり神聖の強いものです。また東洋的なアニミズムをここにも見ることが出来ます。しかし、ヨーロッパにおいてはなかなか奇妙なものなのか、そのような思想を垣間見せる「能」に関しても異文化を感じていたようです。
文学に関してもフランスらしさを感じることが出来ました。フランス人は根本から突き詰めていく、論理性を一つの特徴として持っていると思います。フランス語はスペイン語やイタリア語と同様に、ラテン語から派生された言語です。文学においても、古代をたどればそれはラテン語から始まります。文学部の一年生はラテン語の履修が義務になっていました。授業においても古代・中世・近代と言うように、時代ごとにちゃんと振り分けられた授業がなされています。私が履修した比較文学の授業は「変身」と言うテーマの下、ギリシャ神話における月桂樹 (ダプネ)の変身から始まって、ラテン文学である「金のロバ」、そしてドイツ文学である「変身」を参考文献し展開されました。授業はもちろんフランス語でされましたが、ここにおいても一次的に陥らない学習思考が見受けられるように感じました。
この論理性はしっかり作られたものです。例えばレポートの構成様式に関してですが、日本は「起承転結」を主にしていますが、フランスは全く異なります。構成は逆三角形となっており、ある一つの結論に至るように論理を詰めていきます。そこには曖昧な表現や曖昧な論理を挟まないため、疑問を残した論理を認めません。きちんとした試験の採点時には、その論理の内容は全く見ないで形だけを採点する人と、その内容を採点する人の二人で評価がされるようです。もちろんこれはフランス人にとっても難しいことのようで、高校・大学時に教養されます。言語に関しても言えることですが、大学生になっても母国語であるフランス語の授業が義務となっています。このようなレポートを求められるフランスにおいて私は短期留学生と言う立場に甘えるしかなかったのですが、いい刺激と経験をさせて貰いました。
また学校と言う場に限らず、学ぶことは多々ありました。私は今回が初の海外であったため、具体的に国際理解を考えることはありませんでした。しかし、今回自分が始めて異邦人として生活し、そして宗教の違いを実生活で感じ、どうしても拭えない民族的な偏見を見聞きすることによって、本当の意味でも国際理解、そして共存のあり方を考えることができました。私の友人には熱心なイスラム教徒やカトリックもおり、黒人と呼ばれる人や褐色肌の人、そして年齢もかなり隔たりのあった人がいました。彼らがどのように世界を見ているか、そして逆に彼らから自分達がどのように見られているか、それは隔たれた日本にいただけでは理解できないこともあったと思います。
このように学問的にも、そして人間的にも、大きな刺激と向学心を与えてもらえました。私は現在大学3年生であり、まだまだ学ぶ時間も学べることもたくさんあります。本音を言えば、自分の未熟さゆえこの留学を完全燃焼に持っていけなかったと言う悔しさがあります。この悔しさをばねに、不完全燃焼を完全燃焼にもっていくことが私のこれからの課題であり、この留学を糧として日々精進していこうと思います。このようなまたとない機会を与えて下さった電通育英会の皆様に感謝の意を示したいと思います。本当にありがとうございました。